監獄秘話

第11話 番外地の生みの親

映画監督 石井輝男氏の墓碑が網走市に完成、「映画『網走番外地』撮影地の碑」も博物館網走監獄に設置。

昭和40年代の大ヒット映画シリーズ「網走番外地」中、第1作を含み10作を監督した石井輝男氏は、まさに「番外地の生みの親」といえる。 石井監督は2005年8月12日、享年81歳で死去したが、本人がロケで何度か訪れた網走への埋葬を希望していたことから、石井氏の周辺関係者が中心となり、網走市の潮見墓園(地図)に墓碑が建立された。

網走市と、網走刑務所の旧施設を博物館網走監獄として公開・運営している財団法人網走監獄保存財団(理事長・酒井忠)が、「石井監督は網走の知名度をアップさせた恩人」として、恩返しの意味を込めて網走側の受入窓口となって設置に協力をし、石井監督の墓碑が完成、8月5日に石井監督の関係者が参列し納骨の儀が執り行われた。

網走番外地シリーズに主演した俳優・高倉健氏、三基の墓碑の一部には石井監督の年賦、代表作が刻まれている。 これに併せ、博物館網走監獄では、「映画・網走番外地が網走を舞台に撮影された」ことを、観光客に伝える手段として、「映画『網走番外地』撮影地の碑」を設置した。設置場所は、博物館網走監獄入場口前。石碑の高さは1m60cm、網走刑務所のレンガ塀を思わせる赤茶色の天然御影石製。

表には「映画監督・石井輝男の作品「網走番外地」のシリーズは、網走刑務所を舞台に作られた。石井監督の墓は、網走市内潮見霊園にある。」と刻まれている。石碑の周囲には高倉健氏が歌った同名の主題曲「網走番外地」の歌詞にある「赤い 赤い 真っ赤なハマナスが・・・」に併せるかのように博物館網走監獄の職員達がハマナスの苗を植栽。来年の夏は、石碑の周りをハマナスの花が飾ることになる。除幕式は墓所への納骨の翌日となる8月6日、博物館網走監獄(網走市呼人1番地の1)を会場に行われた。除幕式には、納骨に引き続き石井氏の関係者が参列した。

博物館網走監獄・小野塚理事長(前)は「かつて網走の名前を全国に知らしめた偉大な映画作品の撮影を記念する碑、大事に守り、訪れる皆さんに『網走番外地』を伝え続けていきたい」と語った。 石井氏が主宰していた石井プロダクション(現在の代表は石井監督の助監督を務めた経験を持つ映画監督山際永三氏)は、博物館網走監獄に石井監督の遺品や『網走番外地』の撮影稿台本など関連する資料を寄託、博物館では、網走刑務所が現役の矯正施設でありながら同時に有名な観光地でもあるという特異性を伝える資料として有効な活用策を検討したいと考えている。

映画監督・石井輝男

2005年8月12日に亡くなった映画監督石井輝男は、1924年東京に生まれ、昭和初期を熱烈な映画青年として過ごしました。東宝を経て新東宝撮影所で助監督となり、成瀬巳喜雄、清水宏に師事。1957年『リングの王者・栄光の世界』で監督デビュー。東映・松竹・日活などで84本の監督作品を残しました。 なかでも高倉健主演の『網走番外地』は、1960年代の世相を反映して大ヒットし、『続網走番外地』『網走番外地 望郷篇』などシリーズ化されて、石井監督で10本、降旗康男監督らの『新網走番外地』シリーズで9本の人気作品となりました。

その後石井監督は、1993年つげ義春原作の『ゲンセンカン主人』、98年同じ原作者の『ねじ式』、2001年江戸川乱歩原作の『盲獣vs一寸法師』を監督。海外での高い評価を得て、「キング・オブ・カルトムービー」とも呼ばれました。 ダンディズムに徹して映画一筋に生きた石井輝男監督は、人生の番外地に生きた男とも言えます。(石井プロダクション・山際永三  「映画『網走番外地』撮影地の碑」除幕式のしおりより)