展示施設 テキスト版 その2
漬物庫 (再現構築)
●建築年代 明治24年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 72.9平方メートル
冬の間、野菜が不足する網走では、秋に収穫した野菜を越冬用として貯蔵し、漬物として補いました。一回の食事で収容者の与えられる漬物の量は約25グラムで、「たくあん」なら3切れほどでした。夏場はキャベツ、ハクサイ、キュウリ等の新漬を食べ、霜がおりる頃になると刑務所内の空き地には丸太が組まれた、たくあん用の大根干しが始まります。
二十五石桶という、直径、深さとも1.6mの巨大な桶に約3,000本の大根をつけこみました。
炭焼小屋 (再現構築)
●建築年代 明治25年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 54平方メートル
冬になると受刑者は、燃料となる材木(小木)を集める為に山に出役し、伐採した木材を馬橇で網走川岸まで運び出しました。雪がとけると、川を発動汽船が曳航するだるま船に木材を満載し、刑務所まで運び薪や炭の生産をしました。
網走刑務所では、1年間に薪、約4,000敷き(約152トン)が必要で、明治45年にボイラーが設置されるまでは大変な作業でした。茅葺き屋根が往時をしのばせています。
浴 場 (再現構築)
●建築年代 明治45年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 208.22平方メートル
網走刑務所では、明治45年にコンクリートの浴槽にボイラーで湯をわかす近代的な浴槽を作りました。
作業場ごとに15人ずつが、看守の号令のもと、脱衣に3分、第1槽入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽入浴3分、着衣に3分というように、脱衣から着衣まで15分間で効率よく入浴しましたが、1日に入浴できる人数は200人程度でした。
この時代の監獄則では、6月から9月まで月5回入浴、他の月は1回入浴と定められていましたが、現在は、1日おきに入浴できるようになりました。
独立型独居房 (再現構築)
●建築年代 明治45年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 4.86平方メートル
独居房は、1囚1房を理想とする監獄法に基づいて、網走分監創設時には16棟あり、明治45年の再建時には34棟ありましたが、社会復帰が行刑の目的となるにつれて、「社会性が養われる雑居が重視されるようになったことと、管理の手間がかかること」から次第に使われなくなりました。当時の資料をもとに再現した独居房は、板張りの小屋で、屋根は瓦葺き、内部は土間と居室に分かれ居室は畳2枚分の板張りになっていて、入口と欄間から明かりが入るだけです。
煉瓦造り独居房 (移築復原)
●建築年代 大正8年頃 ●移築年代 平成3年 ●面積 10平方メートル
網走刑務所では、明治時代末期より、本州の監獄から煉瓦造りの技能を持った囚人を受け入れて煉瓦を焼き、出来上がった煉瓦を使い、塀や門、倉庫、独居房などの様々な施設造りを行いました。この独居房には、窓がなく、扉は二重、しかも煉瓦の壁の厚さは、40cm以上もあります。刑務所の規則の移り変わりにあわせ「懲罰房」「鎮房」「保護房」と呼び名も変わりました。
明治時代の監獄の規則には、規則違反者を窓の無い真っ暗な部屋に閉じこめ、食事を減らし、反省させるという厳しい罰則があり、この独居房も当時の規則に合わせて建てられたものと考えられています。
哨 舎 (移築復原)
●建築年代 不明 ●移築年代 平成4年 ●高さ 3m
明治13年に内務省が制定した図式に基づいて、全国各地の刑務所では、出入り口や作業場などに哨舎という見張所を設けて、外部からの進入や受刑者達の行動を監視していました。各刑務所で形は様々でしたが、この哨舎は所内に8か所設置されていました。ここに移築した哨舎は昭和60年頃まで実際に使用されていたものです。
高見張り (再現構築物)
●建築年代 昭和23年 ●復元年代 昭和58年 ●高さ 8m
受刑者の逃走、暴行事件などの発生に備えたやぐら監視所を「高見張り」といいます。網走刑務所は現在、短期累犯刑務所として、刑期8年未満の受刑者を収容していますが、創設当時の明治23年から昭和43年までは、長期受刑者を収容する施設でした。
そして、昭和23年には刑期8年以上を収容する重警備刑務所の指定を正式に受けているため、所内と裏山の4箇所にやぐらの廊下が12.95平方メートル、高さ8mの高見張りに、職員が2時間交代で監視を行っていました。
行刑資料館
●建築年代 昭和58年 ●面積 1,443.58平方メートル
現在の行刑は、昔の懲罰刑ではなく自由刑です。人間が本来持ってる「自由に生活したい」という欲求を拘禁し、制限するという刑です。そして単に自由を拘束するというだけでなく、受刑者の犯罪性を除去ないし減少させ、正常な社会生活への復帰を可能にすることが行刑の目的になっています。
この資料館では、明治期から現在までの行刑の変遷を刑務所内での生活や規則、刑務作業を通して、また受刑者が北海道開拓に果たした役割を詳しく展示しています。
網走刑務所裏門(移築復原)
●建築年代 大正13年 ●移築年代 平成7年 ●全 長 12m
通称「通用門」と呼ばれた網走刑務所裏門は、赤煉瓦門塀製作開始の大正8年に一番最初に着工した門です。その後5年間かけて受刑者がこつこつ煉瓦を積み上げ、大正13年に延長1,080mの赤煉瓦を完成させました。
以来、平成5年9月まで、70年間に亘り網走刑務所裏門として、受刑者が塀の外の作業場(農業、養豚場)に出かける時に通るのがこの門であり、いかつい正門とは違いこの門をくぐり抜けると構外に出られるという、受刑者にとっては解放感を味わえる門だったようです。
網走刑務所水門 (再現構築)
●建築年代 大正13年 ●再現年代 平成14年 ●全長 24m
この川を利用して、網走刑務所では、生活物資を運び入れたり、農場へ肥料を運ぶ等、貴重な水路として利用していました。
博物館では往時を偲び、筏に肥溜めを載せ農場に運ぶ様子を再現しました。
釧路地方裁判所網走支部法廷復原棟 (移築復原)
●建築年代 昭和27年 ●移築再現年代 平成5年 ●面積 1,142.82平方メートル
この建物は、釧路地方裁判所網走支部及び網走簡易裁判所が新庁舎建設のために、旧庁舎を取り壊すのに際して、単独法廷(1人の裁判官によって重罪以外の比較的軽い刑罰を審査する)、合議法廷(重罪事件を3人の裁判官によって審理する)、合議室(合議裁判の途中で当事者から異議申し立てなどがなされその場で即断出来ないような場合に、三人の裁判官がこの部屋に入り合議する部屋)、仮監置室(自分の裁判まで待たされた部屋)及び勾留質問室(裁判官が被疑者または被告人に質問して、勾留すべきか否かを判断するのに使われた部屋)、を譲り受けました。この建物の外観は、明治33年から昭和27年まで使われた旧網走区裁判所の外観を再現していますが、内部の移築物は昭和27年から平成3年まで使用されていたものを配置し、広さ高さを元通りに復元し、法廷内部の机や椅子、照明器具、カーテン等は実際に使用されていたものを展示しています。
看守長屋 (再現構築)
●建築年代 明治45年 ●再現年代 平成16年 ●延べ床面積 90平方メートル
明治45年に刑務所敷地内に建てられ、幾度もの補修を経て、昭和58年まで刑務官の住宅として使用されていました。
木造平屋の三軒長屋で、瓦屋根などの外装や井戸、かまどなど大正・昭和の看守家族の生活の様子を再現しています。
登り窯 (再現構築)
●建築年代 ●再現年代 ●延べ床面積
日本の監獄では、明治時代、西欧にならい近代的な獄舎を建築するために、刑務作業として受刑者による煉瓦製造を積極的に行いました。監獄用地内の粘土を使用し大量の煉瓦を焼きました。網走監獄においても、明治から大正時代にかけて所内の建物、特に正門、懲罰房、サイロ、倉庫などは煉瓦で建築されています。網走監獄三眺山の傾斜を利用し効率よく大量に焼ける登り窯を活用しました。しかし、時代とともに電気窯へと替わり、登り窯はその役目を終えました。
博物館では、網走刑務所のシンボルになっている赤煉瓦を体験講座、ワークショップなどで利用するため、また展示物として往時を偲び三連登り窯を復元しました。





















