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展示施設 テキスト版 その1


鏡 橋  (再現構築)

●建築年代 明治24年 ●再現年代 平成6年 ●全 長 29m・幅 6m

網走刑務所は、市街地と網走川を挟んだ位置に設置されているため橋を渡らなくては出入りすることは出来ません。

明治23年の設置から現在までに4回橋は架け替えられましたが、名前は「鏡橋」と呼ばれています。 

「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いが、その名前の由来と言われています。

博物館に再現しました「鏡橋」は大正6年に架けられた二代目の特徴である擬宝珠付きの欄干と、昭和25に架けられた三代目の特徴であるトラス(橋の強度を高めるために付けられた骨組み)を併せもったものとし、往時の姿を甦らせました。

 

正 門 (再現構築)

●建築年代 大正13年 ●再現年代 昭和58年 ●全 長 23.22m

通称「赤レンガ門」と呼ばれる網走刑務所正門は、重厚で威風堂々としており「最果ての監獄」と呼ばれ恐れられた時代の網走刑務所の威厳を感じさせます。

正門の左右には部屋が設けられ、一方は、正門担当看守が受け付けとして使い、もう一方は、面会に来た家族が申しこみと待合室に使いました。

赤レンガを際立たせている表面に艶のある煉瓦は、窯の中に塩を入れ、塩が分解する1,160度以上の高温で焼き上げるため、独特の釉薬をかけたような黒褐色の色をしており、形も普通の煉瓦より20~30%小さいのが特徴です。

現在はこのような焼き方はできないため、ここに復原した門はレンガ建築の歴史を知るうえで重要なものです。

 

有形登録文化財 庁 舎 (移築復原)

●建築年代 明治45年 ●移築年代 昭和63年 ●面積 500平方メートル

庁舎は明治45年から昭和62年まで使用され「総瓦葺切妻造り」で「コの字型」に三棟を組み合わせた建物です。

水色とグレイで彩色された外観、屋根に設けられた飾り窓など、一見洋式建築に見えますが、正面の千鳥破風の屋根をもつ草寄、鬼瓦をのせた屋根には和風建築の特徴もみられ、「和洋折衷」と呼ばれた明治時代初期の官庁建築に数多くみられました。

庁舎は刑務所の主軸となる所で、中には、典獄(現在の刑務所長)室をはじめとして、会議室、総務課、戒護課、用度課、作業課等があり、保安管理、数化活動(宗教の力や対人接触により、良い方向に感化すること)等の計画執行を検討したところです。

 

有形登録文化財 教誨堂 (移設復原)

●建築年代 明治45年 ●再現年代 昭和56年 ●面積 404.87平方メートル

この建物は教誨事業の行われた講堂です。

教誨とは教えを諭すということであり、受刑者に対して行う精神的、倫理的、宗教的な教化指導のことです。

建物は、総瓦葺き入母屋造り重厚な屋根を持ち、内装は、漆喰を用いて天井に装飾を施し、シャンデリアを釣り下げた「和洋折衷」の建築様式です。受刑者は、「神の宿るところだから」と、刑務所内どの建物よりも精魂込めて作ったと言われています。

戦後は、正面に設けられた仏壇は撤去されて講堂と名を改め、免業日(作業のない日)に映画を見せたり、慰問公演がおこなわれていました。

また冬の長い地方ですので、野外運動場が使えなくなると、体育館のような使い方もされていました。

 

有形登録文化財 五翼放射状舎房 (移築復原)

●建築年代 明治45年 ●移築年代 昭和60年 ●面積 3,333.72平方メートル

明治45年から昭和59年まで実際に網走刑務所で使用されていた獄舎です。

中央見張りを中心に、5本の指を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれています。

この建物の特徴は、少人数でも監視しやすいという利点があり、ベルギーのルーヴァン監獄を模したものと言われています。5棟のうち雑居房は収容定員3~5人で126室あり、部屋の広さは、畳6枚敷、独居房は収容定員1人で100室あり、部屋の広さは畳3枚敷、雑居房、独居房合わせて226室で構成されています。

雑居房の廊下側の壁は、「斜め格子」で等間隔に「スキ間」を置きながら作られているため(ブラインド方式)、廊下側からは部屋の中は見えますが、部屋の中からは廊下をはさんで向かい側の中は互いに見えないように作られています。

独居房は「くの字格子」で作られており、換気のためのわずかな隙間はありますが、廊下側からも部屋の中からも見えない造りになっています。

 

 

 

休泊所 (再現構築)

●建築年代 明治24年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 48.6平方メートル

受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしました。

札幌と網走を結ぶ中央道路の開削にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。

別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60~90㎝位掘って割り板を縦に打ちこみ、部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレでした。それには、囲いはなく四六時中監視されていたのです。寝床は板張りで、枕の代用として丸太棒が床に釘づけになっており、夜具は薄い柏布団1枚でした。

出入口も1か所で、逃亡を防ぐ作りになっています。あとにこれらの休泊所の様式が開拓時代の工事現場に取り入れられ、タコ部屋と呼ばれました。

 

味噌醤油蔵 (再現構築)

●建築年代 明治25年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 43平方メートル

農園刑務所として自給自足を目ざしていた網走刑務所は、明治25年に30坪の味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造しました。

大豆は麦についで耕作面積が広く、仕込みの手かげんで微妙な味となるので、製造は経験の長い受刑者が専属にあたりました。この蔵に展示してある大きな樽は、五十石という樽で約9,000リットル(1升ビン約5,000本)もの醤油が入る巨大なものです。

 

耕耘庫 (再現構築)

●建築年代 明治24年 ●再現年代 昭和58年 ●面積 77.76平方メートル

農園刑務所として全国的に有名な網走刑務所は札幌農業伝習学校(現在の北海道大学農学部)卒業の技官を採用してアメリカの近代農業制度を取り入れ、その技術は非常に進歩したものでした。

刑務所内の敷地だけでなく、網走市郊外の二見ヶ岡、湖畔、住吉といった各農場の拡張が進められ、日本で唯一水田を持つ刑務所となり、その実績が認められ、大正11年に司法省より「農園設備特設刑務所」に指定されました。この耕耘庫には当時農機具や肥料が収められていたのです。

 

有形登録文化財 旧網走刑務所二見ヶ岡農場 (移築復原)

●建築年代 明治29年 ●移築年代 平成11年 ●面積 1,933平方メートル

網走刑務所農園作業の先導的施設として明治29年に網走の西方丘陵地の「屈斜路外役所」として設置されました。

網走湖、能取湖の二つの湖を展望できる位置に建てられたので二見ヶ岡刑務支所として改名されました。

1世紀を超えた今日も、網走刑務所の食料基地として、また、広い農場での作業であるため職員による監視は穏やかであり、物的人的警備に代えて受刑者自身の責任と自立行動を促すという開放的処遇施設として更生復帰させる重要な役割を果たしています。

※4月21日〜10月30日までは監獄食会場となります。

 

二見ヶ岡農場作業

●作業開始年代 明治29年 ●再現年代 平成12年
●網走刑務所二見ヶ岡農場面積 3,588,884平方メートル

農園刑務所として有名な網走刑務所は、郊外に網走刑務所二見ヶ岡農場という分監の施設を明治29年に設置し、刑務所の農場としては日本一広い面積の土地を有効活用しながら受刑者に働く喜びを体験させ、健全な心身を作ることを目標として、独自の農園訓練規定を設け寒冷地農業に取り組んでいます。

 この風景は、春の開墾、種まき、夏の除草、秋の収穫作業を再現したもので、農機具や馬撬、金輪荷馬車は当時使用されたものです。

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